嶺南子供太鼓台

新宮子供太鼓台
10月5日の熊野神社秋季大祭にて運行。どうやら大人太鼓台もあるらしいが、カキ手が無く人を雇って奉納しているとのこと
中の川太鼓台
今は多くの人が山を下りた中の川地区にも太鼓台があったようである。2尺程であったと言うことから伝播初期の太鼓台が川伝いに徳島方面から来たのではないか。明治時代は、別子銅山が繁栄を極めたころであり行商人などが徳島から訪れることが多かった。法皇山脈を越えるよりも物資の輸送が容易であり、途中に上山等の集落が伊予川(銅山川)沿いにあり人の行き来きも盛んであった。このような経済的背景や太鼓台の大きさから、海側の平野部から購入したとは考えにくいし嶺北(高知県側)には現在まで太鼓台があったという文献なども無い。よって、徳島方面から購入したと見ることが自然である。戦前まで太鼓台を奉納していた徳島県西部では現在の形状より少し小さい。これより前の物を購入したのではないか。



c宇摩太鼓蔵