寒川西部太鼓台 白虎

明治後期には反り布団型太鼓台があったと言い伝えられいる。聞いた話によると西寒川村は昔は漁師町で、お得意先だった姫路で播州屋台を見物し、気に入った漁師達がみんなで購入したが、ある年、同じく漁師町の江之元八幡丸と大喧嘩の末、運行不能となり焼失したと言われる。1997年に寒川青年団所有の三島型太鼓台を有志が譲り受け寒川青年団と共に運行。担き手有志により西部愛鼓会を作り運営し補修.部分新調。2003年より西寒川自治会所有。屋号は寒川西部ということで西方護神白虎とした。

平成9年  寒川青年団より譲渡 幕は新居大島より購入したものの高欄幕を流用

平成10年 幕・掛け布団・房を新調

平成11年 カキ棒新調

平成13年 西寒川自治会の所有となる。法被新調

平成19年 西讃型での新調

c宇摩太鼓蔵