第六號 金子町太鼓台 凌雲 

大正以前より所有していたといわれる。金子というのは後に付けられた地名のようで、昔は鐘原と呼ばれていり、現在も金原という場所があり集団墓地となっている。推測するに鐘原とは西町より西側の原野であったが、人家が増えて開墾して住むようになった頃に鐘原の小(子)集落として鐘子となったのではないか。子(児)とは元から別れたという意味を指す。多分、鐘子の字体が省略され金子となったのでは。写真が残っていないので、為に原太鼓台と親しまれ昭和40年頃まで運行されていたが諸事情により運行中止。1990年代に各地区復活相次ぎ金子町太鼓台も有志により1997年一部借物により運行再開。屋号は雲を突き破る勢いを指し地区が勢いあるようとの願い

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