平木の方の話

皇紀弐千六百年祭には宇摩一円の太鼓台が一斉に御祝いの運行をしたという。旧川之江市地域は川之江小学校(現在の栄町神ノ木であり、栄町駐車場からママイ前の道の間にあった)にあつまり「川之江町」→「金生町下分」→「上分町」→「妻鳥村」へと連なって運行したという。通った道は、土佐北街道を上分町へ向い(金生町は川之江八幡神社の氏子だったので、現在地の神社には寄らなかったものと考える)上分町で伊予街道と合流し西に向きを変え妻鳥村へ向う。この時に、上分神社に逸れて前を通過したのかもしれない。妻鳥村では現在の県道五号線を進み、中下集会所上の三叉路をくだり、三皇神社を通過。この時点で辺りは暗くなり、太鼓台と太鼓台の間で浄瑠璃を引いていた牛車に提灯の明かりが点された。この浄瑠璃引きは、上分町の芸者などであった。三皇神社を過ぎて平木まで行くと金毘羅街道と合流する。ここで、妻鳥村の太鼓台は他の太鼓台を見送ったはずである。東へ向えば、川之江・金生・上分へと通じるからである。

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