氏神 厳島神社

所在地 豊岡町大町一番地

大町太鼓台 天領

大正8年から運行され、途絶えることなく厳島神社に奉納している。高野・中通り地区で新調されたが、昭和40年代に運行が下火になった際、中通り地区が買い取る。その後、保存会が結成され、昭和63年より夜太鼓を始め、徐々に人手も増え修理などを始め、刺繍なども新調(長田の山崎氏により復元新調)

 

平成5年上幕新調

平成6年布団締め新調

平成7年布団締め(帯び)新調

平成14年 布団締め購入 具定太鼓台より

 太鼓台詳細

宮西・西村太鼓台 巖龍

戦後数年まで、宮西には西讃型太鼓台が西村には御座船「明神丸」があり、別々に奉納していたが担き手不足などにより、維持が難しくなり運行中止となる。その際に、太鼓台も御船も破棄したようであり、現存するならば新規建設する際に使用したはずである。平成に入り、地域親睦の観点から宮西地区住民が太鼓台運行を提案。隣地区の西村も参加して、連合太鼓台として新営となった。運行開始当時から新居浜型で新調して運行している。太鼓蔵は嚴島神社境内にある。望むべくは、西村で御船を再興し、宮西も新調の際には往古の西讃型で奉納されることである。だが、少子化が進み地区民以外の担き手も多いことから、現実には不可能であろう。一度消えた伝統を、再び繋いでいくには並大抵のことではない。伝統を絶やさず、守っていく。それが、今いる世代の後世への遺産ではないでしょうか?

平成5年 法被購入 太鼓台建設決定

平成6年 彫り物新調・飾りなどは一部レンタル

平成8年 幕・房を新調 完成お披露目

c宇摩太鼓蔵